第16服 - 第20服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)
「へうげもの」の記事における「第16服 - 第20服」の解説
織部は帝の茶の湯指導を果たし、天下一の数寄者としての名声を手に入れる。家康は江戸幕府を開き天下を取るが、徳川から天下を取り戻そうとする茶々や大野治長たち豊臣家との対立が続いていた。織部は数寄の世を存続させるため、有楽斎や忠興たち数寄大名たちと共に家康と茶々を結ばせ「豊徳合体」による天下の泰平を目指す。しかし、家康が高台院に想いを寄せていることを知った織部は、策を巡らせて二人の仲を疎遠にさせる。織部は家康と茶々を引き合わせるが、政宗と手を組み天下を取ろうと企む大久保長安の介入で失敗する。さらに息子・重嗣や有楽斎の息子・頼長が豊臣方について策を巡らすなど「豊徳合体」は思うようには進まなかった。 家康は息子・秀忠の茶の湯指南役に織部を選ぶが、秀忠は織部の教えを突っぱねようとする。しかし、妻・お江との仲が冷え込んだことで織部に助力を求めたことをきっかけに、秀忠は織部を慕うようになる。一方、織部や加藤清正の説得を受けた家康は豊臣秀頼と会見するが、長安の報告で福島正則たちが兵を控えていたことが発覚し、激怒した家康は清正を謀殺する。長安は病に倒れて企みの成就を焦り大坂に向かうが、性急さを危惧した政宗が派遣した支倉常長に謀殺され、不正蓄財が発覚したことで一族は処刑される。長安の背後にキリスト教勢力がいることを知った家康はキリシタン追放令を出し、織部の義弟・高山右近が国外追放される。家康は、豊臣家が治長と片桐且元の相違を知り、豊臣家の討伐を決意する。
※この「第16服 - 第20服」の解説は、「へうげもの」の解説の一部です。
「第16服 - 第20服」を含む「へうげもの」の記事については、「へうげもの」の概要を参照ください。
- 第16服 - 第20服のページへのリンク