第12章 ステップの境界に生じた変化の兆し【政治的権力の源泉】
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古ヨーロッパの崩壊は黒海北岸の草原地帯における銅製の副葬品の減少を招いた。前3800年から前3300年にかけて、カフカス山脈北部のマイコープ文化(前3700年~前3000年)を経由して、ステップ文化とメソポタミアの間で交流が行われた。西方では、トリポリエの土器はスレドニー・ストクの土器に似始めてきており、このことはトリポリエ文化とステップ文化の同化のプロセスと、両文化の境界地帯の緩やかな崩壊を示している。 ポントス・カスピ海ステップでは、前3800年から前3300年にかけて、5つの金石併用時代の文化が識別され、印欧祖語の方言は地方言語として機能するようになったと思われる。 ミハイロフカI文化(英語版)はドニエストル川とドニエプル川の間の黒海北岸に位置する。ミハイロフカIの人々は、スヴォロヴォ=ノヴォダニロフカの人々とあまり似ておらず、もっぱらトリポリエ文化の人々かドナウ川流域からやってきた人と通婚していた。ミハイロフカ上位II層(前3300年~前3000年)はレーピン文化から陶器を輸入しており(下記参照)、前期ヤムナヤ共同体と考えられている。ミハイロフカI文化は、前3300年ごろ以降に黒海の北西部のステップでウサトヴォ文化(英語版)に取って代わられた。クリミア半島のミハイロフカI文化はケミ=オバ文化(英語版)に発展した。 ポスト・マリウポリ文化(英語版)(前期:前3800年~前3300年、後期:前3300年~前2800年)はドニエプル急流域のドネツ川付近に位置し、イナ・ポテヒナによると、人々はスヴォロヴォ=ノヴォダニロフカの人々に最も似ているという。 後期スレドニー・ストク文化(ドニエプル川~ドネツ川~ドン川) レーピン文化(ドン川)は、ヴォルガ川下流のステップに深く浸透していたマイコープ=ノヴォスヴォボドヤナ文化(ドン川下流)と接触することで発展した。アンソニーは、レーピンは東部シベリアのアファナシェヴォ文化の誕生に大きな影響力を与えたと考えている。 後期フヴァリンスク文化(ヴォルガ川流域)
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