第二次世界大戦とクロアチア独立国とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦とクロアチア独立国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 02:22 UTC 版)

大クロアチア」の記事における「第二次世界大戦とクロアチア独立国」の解説

クロアチア独立国」および「ウスタシャ」も参照 第二次世界大戦時ナチス・ドイツによるユーゴスラビア侵攻の後、ドイツイタリア支援受けたクロアチア民族主義組織ウスタシャアンテ・パヴェリッチクロアチア独立国建国した。 クロアチア領土最大限まで拡張せんとするクロアチア民族主義者願望は、クロアチア・スラヴォニア・ダルマチアとボスニア・ヘルツェゴビナのほぼ全域をその領土とするクロアチア独立国範囲にも見てとることが出来る。 ところが、ウスタシャこれだけでは満足せずスラヴコ・クヴァテルニク通じて領土更なる拡張試みた1941年5月14日電報で、ドイツの在クロアチア全権大使であったジークフリート・カッシェドイツ外務大臣リッベントロップ対し、クヴァテルニクはクロアチア領土アルバニア国境や、プリボイ(Priboj)、プリイェポリェ(Prijepolje)、プリェヴリャPljevlja)(それぞれサンジャク地方都市)にまで広げることを望んでいると伝えた。さらに、カシェは「クロアチア軍は既にそれらの地域展開している」ことを理由として、この要求支持表明した。 しかし、イタリア外相ガレアッツォ・チャーノは、このクヴァテルニクの要求を「クロアチア帝国主義」と批判している。チャーノは1941年6月30日日記次のように書いている。 アンテ・パヴェリッチはついにサンジャクまで欲するようになった。まったくの不合理で、道理のない要求だ。私は、ドゥーチェ署名した手紙作成しこれをもって我が方はこの案への反対表明する

※この「第二次世界大戦とクロアチア独立国」の解説は、「大クロアチア」の解説の一部です。
「第二次世界大戦とクロアチア独立国」を含む「大クロアチア」の記事については、「大クロアチア」の概要を参照ください。

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