第二次世界大戦とクロアチア独立国
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「大クロアチア」の記事における「第二次世界大戦とクロアチア独立国」の解説
「クロアチア独立国」および「ウスタシャ」も参照 第二次世界大戦時のナチス・ドイツによるユーゴスラビア侵攻の後、ドイツやイタリアの支援を受けたクロアチアの民族主義組織ウスタシャのアンテ・パヴェリッチはクロアチア独立国を建国した。 クロアチアの領土を最大限まで拡張せんとするクロアチア民族主義者の願望は、クロアチア・スラヴォニア・ダルマチアとボスニア・ヘルツェゴビナのほぼ全域をその領土とするクロアチア独立国の範囲にも見てとることが出来る。 ところが、ウスタシャはこれだけでは満足せず、スラヴコ・クヴァテルニクを通じて領土の更なる拡張を試みた。1941年5月14日の電報で、ドイツの在クロアチア全権大使であったジークフリート・カッシェはドイツの外務大臣リッベントロップに対し、クヴァテルニクはクロアチアの領土をアルバニア国境や、プリボイ(Priboj)、プリイェポリェ(Prijepolje)、プリェヴリャ(Pljevlja)(それぞれサンジャク地方の都市)にまで広げることを望んでいると伝えた。さらに、カシェは「クロアチア軍は既にそれらの地域に展開している」ことを理由として、この要求に支持を表明した。 しかし、イタリアの外相ガレアッツォ・チャーノは、このクヴァテルニクの要求を「クロアチア帝国主義」と批判している。チャーノは1941年6月30日の日記に次のように書いている。 アンテ・パヴェリッチはついにサンジャクまで欲するようになった。まったくの不合理で、道理のない要求だ。私は、ドゥーチェが署名した手紙を作成し、これをもって我が方はこの案への反対を表明する。
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