第二次マチャイアスの海戦、1777年
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「マチャイアス (メイン州)」の記事における「第二次マチャイアスの海戦、1777年」の解説
詳細は「第二次マチャイアスの海戦」を参照 マチャイアスの町は直ぐに攻撃的となり、ニューブランズウィックやノバスコシアの愛国者を支援するための遠征が計画された。ノバスコシアの総督はこの危険な町を潰す必要があると考え、1777年、その目的でジョージ・コリアー海軍代将に4隻の艦船を指揮させ、80名の海兵を派遣した。この船隊は8月初旬に湾に到着し、海沿いの工場1つ、家屋2戸、納屋2軒、警備小屋1軒を燃やした後、下流で略奪を行い、マチャイアス滝から半マイル (800 m) のミドル川河口までブリッグ艦の1隻を艀に曳かせていった。ここに来て、高い岸の上から活発な砲弾が注がれたために、艀の乗組員はブリッグの上に乗り移ることとなり、そこでも全員が甲板下に退避したので、ブリッグはなす術もなく下流に流されていった。町の武器を持つことができる者は皆、岸に上がっており、スティルマン少佐が指揮していた。川の対岸にはジョン・アレンが送ったパサマクォディ族インディアン40ないし50人がおり、その酋長ジョセフ・ニーアラが指揮していた。インディアン達が特有の叫び声を上げ、それを白人が真似し、樹木がそれに答えて震えるまでになった。イギリス兵は再度湾に出て行った。この戦闘で特筆されるのは、西のプレザント川の開拓地から若い女性のハンナ・ウェストンが、愛国者のために20マイル (32 km) を火薬を運んできたことだった。イギリス船隊は1、2日後に湾から出て行った。
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