第一次大戦〜ナチス・ドイツの侵攻
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「アンリ・ジロー」の記事における「第一次大戦〜ナチス・ドイツの侵攻」の解説
1900年、サン・シール陸軍士官学校卒業。第一次世界大戦では北アフリカで従軍。1914年8月、ギーズの戦いで重傷を負いドイツ軍に捕らえられた。2か月後に逃亡し、オランダを経由でフランスに帰国した。大戦終結後、コンスタンティノープル駐留軍に参加。1926年、第3次リーフ戦争の反乱軍の鎮圧のためモロッコで従軍。アブド・エル・クリムを捕らえ、レジオンドヌール勲章を与えられた。その後、メスの司令官に就いた。1936年には上級大将(général commandant d'armée)となり、第7軍司令官になった。同時期に軍事参議官となり、シャルル・ド・ゴールと出会った。この時期にはド・ゴールが提案した電撃作戦に反対している。 1939年に第二次世界大戦が勃発すると、1940年5月10日に第9軍司令官としてオランダに進軍、攻勢正面の右翼を担当することになった。しかし19日、新しく設置された司令部に赴くと、すでにそこはドイツ軍に占領されていた。ジローは捕らえられ、捕虜収容所として使われていたドレスデン郊外のケーニッヒシュタイン城(en:Königstein Fortress)に収容された。収容中に逃亡の準備としてドイツ語を学んだり、周辺の地図を記憶するなどした。ジロー自身は後に、逃亡の目的は対独抗戦の再開のみであったと語っている。
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