第一次世界大戦の軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 17:19 UTC 版)
「フリードリッヒ・クリスチャンセン」の記事における「第一次世界大戦の軍歴」の解説
1914年8月クリスチャンセンは召集され海軍の飛行士としてジーブリュッケ(英語版)に配属された。彼はハンザ・ブランデンブルク W.12水上機に搭乗し、北海、英国海峡や英国上空を飛んだ。ドーバーとラムズゲート爆撃の戦功により彼は2級鉄十字勲章を受勲した。1915年 - 1916年にクリスチャンセンは、ジーブリュッケの自分の戦隊をドイツ海軍の最も成功した飛行隊の1つに育成するのに寄与しながら、数多くの偵察、爆撃任務に出撃し続けた。1916年4月27日クリスチャンセンは、海軍砲兵少尉として1級鉄十字勲章とホーエンツォレルン騎士十字勲章(英語版)を受勲した。 クリスチャンセンは、自身の空戦での最初の勝利は1917年5月15日のドーバー上空でのソッピース パップ撃墜であると主張している。1917年9月1日彼はジーブリュッケの海軍航空基地の指揮官になると同時に中尉に昇進した。同日、クリスチャンセンはフェリックスストウ(英語版)上空でポルテ F2B ベイビー(英語版)を撃墜した。 クリスチャンセンは、1917年12月まで偵察、救難、爆撃任務に出撃し続け、飛行船C27撃墜を含める計440回の出撃をした。この時点で彼は、海軍の飛行士に授けられた僅か3つのうちの最初で水上機の飛行士では唯一のプール・ル・メリット勲章(「ブルーマックス」)も受勲していた。クリスチャンセンは1918年に大尉に昇進した。 1918年2月15日クリスチャンセンはフェリックスストウ上空でカーティス H12B フライングボート(英語版)を、4月24日と4月25日には更に2機を、6月には3機以上のフェリックスストウ F2A(英語版)を撃墜したと主張した。7月6日に彼はテームズ河口で英国の潜水艦HMS C25に奇襲をかけ、艦長と兵員5名の損害を負わせた。ドイツ海軍当局はこれを敵機撃墜に等しいと認定し、彼のスコアに1機追加された。航空機でない物にスコアが認定された極めて珍しい例である。1918年11月11日までにクリスチャンセン個人の撃墜数は総計13機にのぼり、何機かの共同撃墜数を加えると累計21機にもなった。
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