第一次ロシア革命期
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1905年の第一次ロシア革命の際、労働者によるゼネラル・ストライキが始まる直前の10月10日に、労働者を幅広く包括する無党派の大衆組織を創設することをペテルブルクのメンシェヴィキが提案した。数日後に労働者代表ソビエトがつくられた。議長はフルスタリョーフ・ノサーリだったが、実際に宣言や決議文を起草していたのはレフ・トロツキーだった。 ボリシェヴィキは当初、ソビエトに対して否定的な態度をとった。10月27日、党中央委員会は「ソヴェトに関して社会民主主義者の任務は、党の綱領と戦術的指導をうけいれさせることにある」という決議を採択した。ソヴェトが党の指導を受け入れない場合は脱退する、とした。しかし亡命先から帰国中のレーニンはソヴェトを「臨時革命政府の萌芽」と評価した。11月以降、ボリシェヴィキのソヴィエトにたいする否定的評価は消えていった。 10月のストライキは政府から十月詔書を引き出し、一定の成功をおさめた。しかし11月に行われたストライキは十分な広がりをもたず、失敗に終わった。ソビエトは退潮に向かい、11月末にはフルスタリョーフ・ノサーリが逮捕され、12月には他の幹部も逮捕されて壊滅した。12月にはモスクワのソビエトが武装蜂起したが、やはり失敗に終わった。
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