突然の交替劇
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2003年7月15日、ホームバンクである岐阜競輪場でデビューを迎え見事1着。またこの開催では完全優勝を果たす。さらに2004年3月7日にいわき平競輪場で開催されたルーキーチャンピオンレースでは上記の山崎、武田、渡邉、成田らを相手に捲りを決めて勝利。また自転車競技においても非凡な才能ぶりを発揮し、同年に開催されたワールドカップでは、長塚智広(第1走)、伏見俊昭(第2走)とともに第3走として出場したシドニー大会のチームスプリントにおいて優勝を経験。また同年5月にメルボルンで開催された世界自転車選手権のチームスプリントにおいても、長塚、伏見とともに第三走者として出場。予選では7位に入った。 しかし、当時日本代表監督であったオーストラリア人のゲーリー・ウエストは、予選における第三走の永井のタイムが、ウエスト自身が想像していた以上に悪く映り、その後行われた順位決定予備戦(1回戦)では急遽、第三走を井上昌己に交替させた。しかし、急ごしらえのチーム構成となったこともあってか、日本はこの1回戦でイギリスに敗退。結局予選順位である7位が最終成績となった。 一方井上は、チームスプリントの翌日に行われた1kmタイムトライアルにおいて、13位ながらも1分3秒910のタイムをマーク。このタイムは、ウエストを安堵させることにも繋がり、永井の五輪出場の夢は、ほぼここで絶たれたも同然となった。同年6月に発表されたアテネ五輪・トラックレース日本代表選手について、短距離部門は長塚、伏見、井上の3名を選出。そして、この3名で挑んだアテネ五輪・チームスプリントにおいて、日本は銀メダルを獲得した。
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