空港移転の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 00:20 UTC 版)
1989年(平成元年)末まで旧高松空港は、現在の空港から約10km北の市街地(高松市林地区林町)にあった。太平洋戦争中に設置された軍用飛行場の設備を改装し設置された空港だったが、滑走路が短いことや、市街地・畑地に隣接していることなどの問題(実質プロペラ機しか使えず)があり、早くから新空港設置が提案されていた。1972年(昭和47年)に高松市下笠居地区生島町沖に330万平方mの埋め立て地を造成して新空港を建設する前提で調査が開始されたが、オイルショックや瀬戸内海の環境保全問題から埋め立て計画が縮小されたのち、1979年(昭和54年)に生島沖を断念して香南地区を候補地とすることが決定した。 1983年(昭和58年)に運輸大臣より建設が告示され、これに基づいて1980年代の末に香南町(当時)の高台に新空港を造成し、空港機能が移転された。旧高松空港の跡地は、産学施設が立地する「香川インテリジェントパーク」を設置、コンベンションホールの香川県産業交流センター(サンメッセ香川)や、香川県立図書館、香川大学創造工学部のほか、企業や県の研究所などがある。 旧高松空港が登場する作品として、1968年(昭和43年)の東宝映画『社長繁盛記』があり、冒頭で登場人物が羽田から全日空のボーイング727で伊丹へ飛び、乗継いだフォッカー F27フレンドシップで高松に向かっている。これは当時、羽田からの直行便が1日1便しかなかったためで、劇中にもそのことを嘆くシーンがある。
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