空母 A(グラーフ・ツェッペリン)
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「グラーフ・ツェッペリン級航空母艦」の記事における「空母 A(グラーフ・ツェッペリン)」の解説
詳細は「グラーフ・ツェッペリン (空母)」を参照 空母 Aは1936年に作業が開始された。この艦は同年12月28日に起工し、1938年12月8日に進水した。1940年4月の時点で艦は未完成であり、この時の戦略的な情勢の変化によって艦の建造作業は中止されるに至った。しかし1942年の春、現代の海上戦における空母艦載機の有用性が充分に示された。1942年5月13日にヒトラーの許可が下り、ドイツ海軍最高司令部は空母の作業再開を命じた。 技術的な問題、例えば空母での運用のために特別に設計された、より新型の航空機の需要や、近代化改修の必要性から進行は遅延した。ドイツの海軍幹部は1943年8月までにこうした変更が全て完成されることを期待した。また空母の初の海上公試は同年8月に行われる予定だった。しかし1943年1月下旬にはヒトラーがドイツ海軍を強く見離しており、特に彼は海上艦隊の貧弱な性能を認めたため、彼は全大型艦艇を任務から引き下げて解体を命じた。1943年2月2日、空母の建造作業は永久に停止された。 グラーフ・ツェッペリンは次の二年間をバルト海の各所の港で無為に過ごした。1945年4月25日、ソ連赤軍が侵攻するより先にこの艦はシュチェチン(現ポーランド)で自沈した。艦はその後ソ連の手で浮揚し、射撃訓練用に使われて1947年に沈んだ。2006年、ポーランドの研究家により、ヘル半島の端部に位置するヴワディスワヴォヴ沖合のバルト海で艦の残骸が発見された。
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