穂積阿蘇神社とは? わかりやすく解説

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穂積阿蘇神社

読み方:ホズミアソジンジャ(hozumiasojinja)

別名 長野宮

教団 神社本庁

所在 熊本県下益城郡砥用町

祭神 健磐竜命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

穂積阿蘇神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/17 07:27 UTC 版)

穂積阿蘇神社

穂積阿蘇神社
所在地 熊本県下益城郡美里町三和10
位置 北緯32度37分17.31秒 東経130度52分34.17秒 / 北緯32.6214750度 東経130.8761583度 / 32.6214750; 130.8761583座標: 北緯32度37分17.31秒 東経130度52分34.17秒 / 北緯32.6214750度 東経130.8761583度 / 32.6214750; 130.8761583
主祭神 健磐龍命以下阿蘇十二神
社格 郷社
創建 天慶年間(938年 - 947年)
本殿の様式 流造
別名 小野保積大名神社
長野大明神
例祭 10月19日
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穂積阿蘇神社

穂積阿蘇神社(ほづもりあそじんじゃ、ほづみあそじんじゃ)は、熊本県下益城郡美里町に鎮座する神社である。旧社格郷社

由緒

天慶年間(938年 - 947年)、阿蘇惟泰公が阿蘇神社の分霊を肥後国砥用郷長野村猿山(現・熊本県下益城郡美里町砥用)に勧請し、砥用郷の総鎮守としたのが起こりといわれている。小野穂積大名神社長野大明神 とも称した[1]

天正年間(1573年 - 1592年)、小西行長の兵火により社殿及び旧記古文書等を焼失、衰退した。慶長年間(1596年 - 1615年)、緒方国徳が社殿を現在地に遷宮し再建したという。現在の社殿は、天明4年(1784年)に建立され、昭和になってから再修繕されたものである[2]

御祭神

例祭日

出典

  1. ^ 熊本日日新聞社編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、741頁
  2. ^ 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、657頁

参考文献

  • 下益城郡教育支会編『下益城郡誌』1922年(名著出版復刻、1973年)、98-100頁
  • 下田曲水著『砥用町誌』下益城郡砥用村、1964年、64-66頁
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、1496頁

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