私生活への注目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:20 UTC 版)
「マリリン・モンロー」の記事における「私生活への注目」の解説
モンローは、強い性的魅力で男を翻弄する役柄を数多く演じたため、私生活での男性関係がつねにメディアで注目されづけた。そのためモンローの相手として噂に上った著名人は、喜劇俳優チャールズ・チャップリンや映画監督エリア・カザン、俳優マーロン・ブロンドまできわめて多数に上る。 その中でも特に執拗に流された噂のひとつが、ジョン・F・ケネディ大統領との関係である。 モンローは1961年にミラーと離婚したが、この離婚に先立つ1959年頃から、ケネディの妹の夫で俳優のピーター・ローフォードやフランク・シナトラの紹介で、前年に大統領となったケネディの知己を得ている。 その後モンローとケネディが肉体関係にあったとする噂が、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどの証言をもとに長く噂されてきた。また、ジョンの弟で司法長官を務めていたロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがある。 しかし、モンローがケネディとたびたび電話で個人的な会話を交わす関係にあったことは、ホワイトハウスの通話記録などから確実視されているものの、FBIの捜査記録や知人たちへの膨大なインタビューなどをもとにした近年の研究では、二人が肉体関係にあったことを裏づける明確な証拠は存在せず、あくまで噂にすぎないと結論づけられている。 ケネディとモンローが近づいた背景には、マフィア幹部のサム・ジアンカーナや、彼と関係の深いシナトラの手引きがあったとも言われる。そのためケネディ政権へマフィアの影響力が強まることが懸念され、当時のFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーらによって2人の関係が強制的に終わらされたとする噂も長く語られてきた。しかし現在では、多忙をきわめるようになったケネディ側が自ら交友関係を大きく縮小させたためとする説が主流である。 モンローは、2人の関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)に、体の線が露わになったドレス姿で赴き、「ハッピーバースデートゥーユー」を歌った(「ハッピーバースデー・ミスタープレジデント」の項も参照)。 このときジャクリーン夫人は、誕生日パーティーにモンローが来ると知り欠席している。 ケネディはモンローが死んだ1年3ヶ月後の翌年11月に凶弾に倒れている。
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