祓戸王子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/05/20 12:03 UTC 版)
祓戸王子(はらいどおうじ)は九十九王子。同名の2社がある。
- 和歌山県海南市の祓戸王子 - 九十九王子 (海南市)参照
- 和歌山県田辺市の祓戸王子 - 九十九王子 (田辺市本宮町)参照
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祓戸王子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 17:26 UTC 版)
「九十九王子 (海南市)」の記事における「祓戸王子」の解説
祓戸王子(はらいどおうじ、はらえどおうじ)跡は、菩提房王子から西へ進み、紀勢本線の線路の手前を南に折れて、如来寺裏手斜面にある墓地の中を通り、頂上を越したところに碑がある。街道からだいぶ離れた場所にあるが、かつてはもっと街道よりの麓近くにあったといわれ、地元の伝承によれば如来寺の隣地であったという。1873年(明治6年)に村社に列格された当時は小さいながら社殿があり、1873年(明治6年)付の記録によれば境内288坪とあるが、1909年(明治 42年)に藤白神社に合祀され、跡地には碑が建てられた。 「熊野道之間愚記」の建仁元年(1201年)10月8日条には祓戸王子の名で記載が見られるが、藤原経光の参詣記(『民経記』所収)承元4年(1210年)4 月24日条には鳥居王子、仁和寺蔵の『熊野縁起』(正中3年〈1326年〉)には大鳥居王子と記されている。室町時代以降はもっぱら鳥居神社の名で呼ばれたと見られ、禅林寺文書や『紀伊続風土記』にも鳥居王子との言及がある。 この辺りの地名を鳥居と称する。古くは熊野一ノ鳥居があった場所と考えられており、聖域に入る直前に身を清める潔斎所であったようだが、鳥居は天文18年(1549年)に失われたという。熊野本宮大社のすぐ手前にある同名の王子(祓戸王子)も同様の役割を担っていた。今日では、藤白王子の二ノ鳥居の傍らに熊野一の鳥居と刻まれた石碑が設置され、祓戸王子を顕彰している。県指定史跡(1958年〈昭和33年〉4月1日指定)。 所在地 - 海南市鳥居257-1
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