社長、最高経営責任者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/05 08:49 UTC 版)
「ランドマクナリー」の記事における「社長、最高経営責任者」の解説
ウィリアム・ランドが印刷所を開業したのは1856年、「ランド・マクナリー会社 (Rand, McNally & Co.)」の正式な設立は1868年のことであった。同社が株式会社化されたのは1873年で、ランドが初代社長となり、マクナリーは副社長となった。1899年にランドが引退すると、アンドリュー・マクナリーは社長職を引き継ぎ、1904年に亡くなるまで社長の座に留まった。アンドリューの息子フレデリック・マクナリーは、父の死後すぐに社長となったが、当時は自動車の時代が始まろうとしている時期だった。フレデリックが1907年に死去した後は、その姉(妹?)の夫ハリー・ビーチ・クロウが社長となった。1933年に、社長はフレデリックの息子アンドリュー・マクナリー2世に交代し、その後はその跡継ぎであるアンドリュー・マクナリー3世、4世へと事業は受け継がれ、1993年までは創業者一族が社長を務めることになった。 1873年 – 1899年: ウィリアム・ランド (William Rand) 1899年 – 1904年: アンドリュー・マクナリー (Andrew McNally) 1904年 – 1907年: フレデリック・マクナリー (Frederick McNally) - アンドリューの息子 1907年 – 1933年: ハリー・ビーチ・クロウ (Harry Beach Clow) - アンドリューの娘婿 1933年 – 1948年: アンドリュー・マクナリー2世 (Andrew McNally II) - アンドリューの孫 1948年 – 1974年: アンドリュー・マクナリー3世 (Andrew McNally III) - アンドリューの曾孫 1974年 – 1993年: アンドリュー・マクナリー4世 (Andrew McNally IV) - アンドリューの玄孫 1993年 – 1997年: ジョン・S・バカラー (John S. Bakalar) - ランドマクナリー社の元CFO 1997年 – 1999年: ヘンリー・J・フェインバーグ (Henry J. Feinberg) - 出版部門 (Rand McNally Publishing Group) の元代表 1999年 – 2000年: リチャード・J・デイヴィス (Richard J. Davis) - RR Donnelley社や、GeoSystems社(MapQuest社の前身)の元役員 2000年 – 2001年: ノーマン・E・ウェルズ・ジュニア (Norman E. Wells, Jr.) - ランドマクナリー社の元COO 2001年 – 2003年: マイケル・ヒーハー (Michael Hehir) - マグロウヒルグループの元代表 2003年 – 2008年: ロバート・S・アパトフ (Robert S. Apatoff) - オールステート(Allstate)社のマーケティング部門元代表 2008年 – 2009年: アンジェイ・ローベル (Andrzej Wrobel) - Patriarch Partners社の IT プラットフィーム経営責任者 2009年 – 現在: デイヴ・マスカテル (Dave Muscatel)
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