破戒批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 22:59 UTC 版)
「在家仏教 (河口慧海)」の記事における「破戒批判」の解説
伝統宗派の破戒に対する批判については、第三部の74章、77章、78章、第四部の85章、86章、88章、89章、90章、91章などを中心に述べられている。要旨は以下の通り。 現代の僧侶は自己の実際信じていない教条や、実行しておらない徳目を説いて、公然虚言を言って自らを欺き、また世を欺いて生活する者が多い。 釈迦が在家の弟子にまで厳禁した不飲酒戒破り、多くの僧侶が飲酒家豪酒家である。 不淫戒、不非時食戒、不受蓄金銀宝戒、不離三衣戒等、比丘僧の資格である具足戒に至っては守っている者は皆無だと言っていい。 五戒すら保ててない真宗教徒に在家(ウパーサカ)仏教を名乗る資格は無い。 各宗の高僧、善知識、上人、法主、管長と云われる者で、酒を飲まない者はほとんどいないし、中には無慚無愧で蓄妻蓄妾して公然飲酒するのを誇りとしている者すらいる。 多少道心のある者が四・五の戒律を厳持したところで、二百五十の具足戒に至っては到底守れないし、懺悔しようにも正統な僧伽自体がどこにも無い。 離三衣学処や禁受蓄金銀学処といった戒律を保てている者もいない。 随方毘尼を恣意的に解釈して破戒を正当化する者もいる。 『末法灯明記』という出所の怪しい、おそらく最澄によるものでもない出鱈目な内容の書を根拠として、歴史的にも破戒が横行してきたし、今なおそれを以て破戒を正当化する者もいる。
※この「破戒批判」の解説は、「在家仏教 (河口慧海)」の解説の一部です。
「破戒批判」を含む「在家仏教 (河口慧海)」の記事については、「在家仏教 (河口慧海)」の概要を参照ください。
- 破戒批判のページへのリンク