石津亮澄とは? わかりやすく解説

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石津亮澄

読み方いしづ すけずみ

江戸後期歌人摂津生。名は亮澄、通称は並輔、号を富草屋・米居。尾崎雅嘉和歌を、本居大平国学学び唐物町中橋歌学教授した。『徒然草新釈』『夫木和歌抄古調』『晩花和歌』等著書多数ある。天保11年(1840)歿、62才。

石津亮澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 03:44 UTC 版)

石津 亮澄(いしづ すけずみ、1779年11月20日安永8年10月13日)- 1840年3月12日天保11年2月9日))は、江戸時代後期の国学者歌人である[1][2]。号は富草屋または米居[1][2]。通称は并輔[1][2]




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