石栗道場とは? わかりやすく解説

石栗道場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 21:53 UTC 版)

蟬しぐれ」の記事における「石栗道場」の解説

石栗弥左衛門 文四郎たちが通った鍛治町にある空鈍流の剣術道場の主。初登場時71歳74歳高齢でも、扇子一本文四郎木刀打ち込み何度も受け止める力を持っていたが、御殿事件の頃(77歳)には、さすがにかなり耄碌してきたと記されている。 佐竹金十郎 師範代10足らず御馬乗り役身分だが、道場では敵する者なき遣い手努力家だけに他者求めるものも厳しく後輩たちに過酷な稽古付けるために恐れられている。 文四郎20歳になった年、役付きになって多忙となり、師範代辞した丸岡俊作 席次2位高弟。助左衛門刑死した後も、文四郎対す態度は変わらなかった。 佐竹師範代辞した後、その後となった大橋市之進 席次3位高弟120石の家の部屋住みで、なかなか婿の口がかからない。助左衛門刑死した後は、文四郎に対してねちねち意地悪い態度を取るようになった犬飼兵馬にひどく叩きのめされたのがきっかけで、婿の口がかかったという言い訳をして道場辞めたが、兵馬死んでから再び戻ってきた。 塚原甚之助 席次4位の高弟。いい技を持っているが、気魄欠けるところがある。 矢田作之丞 席次5位の高弟温厚な性格。城では御納戸勤め文四郎の父と同様、横山派与し反逆者として切腹させられる杉内道蔵 郷方回りの子で、文四郎2歳年下後輩文四郎が父の遺骸を運ぶ際、手伝ってくれた。その後道場文四郎対す態度変わらない数名の中の1人である。 犬飼兵馬 300石を賜る父親が、江戸御留守居役から国勤め御使番代わり文四郎の父が刑死した頃に入門した表情読みにくく、癖のある剣を遣う一風変わった性行をしており、他人馬鹿にたような態度を取るため他の門弟たちから嫌われている。 文四郎のことは好敵手認めたようで、よく稽古試合挑んでくるようになった兵馬荒っぽい挑戦に、文四郎も父を亡くした後の荒れた気持ち引き出され丸岡が「お前たちのは試合ではなく喧嘩だ」と叱るほどの、激し稽古試合繰り返した御殿襲撃隊の一員加わり文四郎対決する斬殺された。

※この「石栗道場」の解説は、「蟬しぐれ」の解説の一部です。
「石栗道場」を含む「蟬しぐれ」の記事については、「蟬しぐれ」の概要を参照ください。

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