小野道場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 21:53 UTC 版)
小野喜玄 無外流の道場主。石栗道場と松川道場の対抗奉納試合では審判を務めた。 布施鶴之助 矢田淑江の実弟。義兄である矢田作之丞のことを尊敬している。矢田の死後、姉の元に足繁く通っている野瀬郁之進に向かって刀を抜いたところを、文四郎が仲裁し、それ以来仲良くなった。 文四郎が松川道場との対抗試合で興津新之丞と対戦することを知り、石川惣六と共に興津の太刀筋の確認をしてくれた。 欅御殿事件では、文四郎の求めに応じ、助っ人に加わった。その恩賞について横山家老に意見を求められた文四郎は、矢田の家を再興させて布施に跡を継がせてはどうかと提案した。横山はその提案に好意的だったが、実現したかどうかは不明。 石川惣六(そうろく) 松川道場の興津新之丞と対戦したことがあるため、布施鶴之助と共に文四郎の興津対策の工夫に付き合ってくれた。 三宅藤右衛門 師範代。一時は石栗道場の佐竹もかなうまいというほどの剣名を挙げた。米倉の役人をしている。 欅御殿事件の後、秘剣であるはずの村雨の名を知っており、文四郎を驚かせた。 追放処分となった里村左内の命によって文四郎に対する刺客となり、横山家老の元を訪れた帰りの文四郎を襲撃したが、文四郎に返り討ちにされた。
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