横山派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 21:53 UTC 版)
横山又助 次席家老。助左衛門や矢田らは彼に与していた。彼ら股肱の者たちが捕らえられた時には手も足も出なかったが、事件が一段落した頃に、刑の行き過ぎを執政会議で演説し、そのおかげで牧家を含む多くの家が、取りつぶしではなく家禄3分の2召し上げで済んだ。また、後に金井・青畑両村から出されていた助左衛門助命嘆願書を執政会議に提出し、牧家の家禄が元通りになった。 欅御殿事件の後、稲垣派を藩執政から一掃し(ただし、稲垣と里村以外に対しては、閉門などの軽い処分で済ましている)、自らは筆頭家老に就いた。 平田帯刀 助左衛門が切腹した政変の前は家老。政変で捕らえられ、切腹を命じられた。 兼松熊之助 政変前は中老。一族もろとも領外追放処分となった。 青木孫蔵 郷方回りの見習いとなった文四郎が、一緒に組んで村々を回ることになった先輩。30代半ば。無口だが有能な役人で文四郎も一目置いている。 初めて文四郎と金井村を巡回した時、助左衛門の助命嘆願書を金井村・青畑村の人たちが出してくれたということを教えた。そして、文四郎を横山派に誘ったが、文四郎は即答しなかった。後に稲垣派によって殺害された。
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