石原 誠
芸名 | 石原 誠 |
芸名フリガナ | いしはら まこと |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1972/10/10 |
星座 | てんびん座 |
干支 | 子年 |
血液型 | AB |
出身地 | 広島県 |
身長 | 168 cm |
体重 | 66 kg |
URL | https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=576 |
プロフィール | 1972年10月10日生まれ、広島県出身のお笑い芸人。お笑いコンビ「フロントライン」として活動。趣味・特技は、人間観察、映画鑑賞、ドライブ、大型トラックの運転、歴史(特に明治以降)。今後の活躍が期待される。 |
職種 | お笑い |
趣味・特技 | 人間観察/映画鑑賞/ドライブ/大型トラックの運転/歴史(特に明治以降) |
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石原誠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 14:14 UTC 版)
石原 誠(いしはら まこと、1879年(明治12年)5月18日 - 1938年(昭和13年)12月11日)は日本の生理学者、医学博士[1]。
経歴
兵庫県伊丹出身。1901年(明治34年)東京帝国大学医科大学卒。当初、内科医を目指すものの中耳炎のため聴診・打診に支障をきたしたため生理学に転向[1]する。卒業後、欧州留学(マールブルク、ウィーン[1])を命ぜられ、留学中に京都帝国大学福岡医科大学助教授に任官される。1906年9月同大学教授に就任する。
1911年(明治44年)に日本で初めて心電図を記録する[1]など心臓の自働性の研究(心臓前房の電流曲線の研究)に業績を上げ、この分野において石原は世界的権威として知られた。コイやフナの血清学的研究などで知られた。また九州大学医学部の基礎を作った。
1938年(昭和13年)12月11日、肺癌のため逝去[1]、墓所は多磨霊園に存在する。
没後の1939年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、この時点で石原は亡くなっていた。仮に受賞対象となっていたとしても「ノーベル賞は死亡者には授賞しない」という規定があり、石原の受賞は不可能であった[2]。
弟は石原修 (1885-1947)。父は石原亮。
著書
脚注
- ^ a b c d e 田辺福徳「心電図の歴史:和蘭(オランダ)から札幌まで」、p11、札幌厚生病院循環器科サイト(2009年10月10日閲覧)。
- ^ Nomination Database
石原 誠(いしはら まこと)
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「名探偵コナン 緋色の弾丸」の記事における「石原 誠(いしはら まこと)」の解説
15年前の事件で犯人として逮捕された在米日本人の料理人。動機はWSGの商業化への抗議と目されていた。最後まで無実を訴えていたが獄中死した。
※この「石原 誠(いしはら まこと)」の解説は、「名探偵コナン 緋色の弾丸」の解説の一部です。
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