石井忠行の記録
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久保田藩士であった石井忠行は、『伊頭園茶話』第15巻(明治7年)に素波里神社(不動)のことを記録している。石井は久保田藩の巡検使だった井口経包(亘)の『六郡御界目巡回雑記』(1789年)を抜粋しているが、井口は実際に素波里神社を訪れておらず、粕毛村の肝煎だった安保万右衛門からの聞き取りを記しているため、石井は井口の記録を修正する形で素波里神社を紹介している。粕毛川を2里ほど遡れば素波里の不動があり、西向かいの滝があることを記している。また、不動堂の前の川から川上に舟で行くと、石に切れ目があり、塩俵を積み重ねたように見える所があり、他に見たことがないような面白い景色を見ることができるとしている。また、不動の滝は六尺にならない程度に細く流れているとしている。石井忠行が見た場所には、現在素波里ダムが建設されている。
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石井忠行の記録
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小又風穴は江戸時代から知られていたようで、久保田藩士の石井忠行は、随筆『伊豆園茶話』巻10に、「小又村の北に昼様(ひるさま)と云ふ岩山有り。中うつろにして風吹穴とて有り。炎暑の節も暫し居れば寒くなる、麓に大冷水と云あり。是に手を入れ石五ツも拾ひ上れば手こゞゆる也云々。」と記している。これは、1815年(文化12年)の淀川盛品による『秋田風土記』からの引用で、秋田風土記の小又村の項にも同様なことが記録されている。
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石井忠行の記録
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久保田藩士であった石井忠行は、『伊頭園茶話』第13巻に三枚の挿絵と共に大柄の滝を記録している。それによると、「五丈程。上下の滝とも裏を見て滝壺を巡る。つぼはいずれも浅し」としている。また、下の滝から山をよじ登って上の滝に至ることや、下の滝は三丈程で、上の滝は下から見えず、下の滝近くの洞の中には八百人もの人が入るだろうこと、風によって滝の音が響き、振動がものすごいこと、洞の中には沢山のアマツバメがいることを記している。 また、『伊頭園茶話』第4巻では常葉村に大ガラ(大柄)という支郷ある。昔、大骸(がら)という人物が住んでいたことでの銘々だという。これは悪路王の類だろう。大柄の滝の、上の滝は先年薪を流したときに欠落したという。下の滝の側に穴ぐらがある、風音や水音が鳴り響いている。上下の滝とも裏から滝を見る事ができる裏見の滝となっている、と記録している。
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