石井忠行の記録とは? わかりやすく解説

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石井忠行の記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 18:46 UTC 版)

素波里神社」の記事における「石井忠行の記録」の解説

久保田藩であった石井忠行は、『伊頭園茶話』第15巻明治7年)に素波里神社不動)のことを記録している。石井久保田藩巡検使だった井口経包(亘)の『六郡御界目巡回雑記』(1789年)を抜粋しているが、井口実際に素波里神社訪れておらず、粕毛村肝煎だった安保右衛門からの聞き取り記しているため、石井井口記録修正する形で素波里神社紹介している。粕毛川を2里ほど遡れば素波里の不動があり、西向かいの滝があることを記している。また、不動堂前の川から川上に舟で行くと、石に切れ目があり、塩俵を積み重ねたように見える所があり、他に見たとがないような面白景色を見ることができるとしている。また、不動の滝六尺ならない程度細く流れているとしている。石井忠行見た場所には、現在素波里ダム建設されている。

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石井忠行の記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 16:05 UTC 版)

小又風穴」の記事における「石井忠行の記録」の解説

小又風穴江戸時代から知られていたようで、久保田藩士の石井忠行は、随筆伊豆茶話巻10に、「小又の北に昼様(ひるさま)と云ふ岩山有り。中うつろにして風吹穴とて有り炎暑の節も暫し居れば寒くなる、麓に大冷と云あり。是に手を入れ石五ツも拾ひ上れば手こゞゆる也云々。」と記している。これは、1815年(文化12年)の淀川盛品による『秋田風土記』からの引用で、秋田風土記小又の項にも同様なことが記録されている。

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石井忠行の記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/10 00:06 UTC 版)

大柄の滝」の記事における「石井忠行の記録」の解説

久保田藩であった石井忠行は、『伊頭園茶話』第13巻三枚挿絵と共に大柄の滝記録している。それによると、「五丈程。上下の滝とも裏を見て滝壺を巡る。つぼはいずれ浅し」としている。また、下の滝から山をよじ登って上の滝に至ることや、下の滝は三丈程で、上の滝は下から見えず、下の滝近くの洞の中には八百人もの人が入るだろうこと風によって滝の音響き振動ものすごいこと、洞の中には沢山のアマツバメがいることを記している。 また、『伊頭園茶話』第4巻では常葉村に大ガラ大柄)という支郷ある。昔、大骸(がら)という人物住んでいたことでの銘々だという。これは悪路王の類だろう。大柄の滝の、上の滝は先年流したときに欠落したという。下の滝の側に穴ぐらがある、風音水音鳴り響いている。上下の滝とも裏から滝を見る事ができる裏見の滝となっている、と記録している。

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