知波夜比古神社とは? わかりやすく解説

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知波夜比古神社

読み方:チハヤヒコジンジャ(chihayahikojinja)

別名 備後二ノ宮

教団 神社本庁

所在 広島県三次市

祭神 日子穂穂出見命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

知波夜比古神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 02:54 UTC 版)

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知波夜比古神社

境内
所在地 広島県三次市高杉町383
位置 北緯34度46分38.18秒
東経132度53分57.18秒
座標: 北緯34度46分38.18秒 東経132度53分57.18秒
主祭神 天津日高日子穂穂手見命ほか
社格 式内社(小)論社
郷社
創建 不詳
別名 二宮さん(通称)
例祭 例大祭(11月2日)
地図
知波夜比古神社
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知波夜比古神社(ちはやひこじんじゃ)は、広島県三次市高杉町にある神社式内社論社で、旧社格郷社。地元では「二宮さん」と称される。

祭神

天津日高日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)ほか7柱

歴史

創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では備後国三谿郡に「知波夜比古神社」として式内社の記載が見え(三谿郡では唯一の式内社)、その論社とされている。社伝には、この神社は昔から高杉城の内側にあったと記されている。現在も、三方に堀の跡が残されており、現在は県の史跡に指定されている。

代々祝氏が城主と神主を務めてきたが、1553年天文22年)の武田甲斐守の時代に、毛利元就に攻掠され、600人の戦死者を出して高杉城の落城とともに社殿も焼失した。元就はその後、神威を懼れて三原沖の海底から潮土を運搬して地固めをし、1556年(弘治2年)、神殿を再建した。

明治維新後、近代社格制度では郷社に列している。

境内

本殿は間口約2.7メートル、奥行き8.4メートル、屋根は檜皮葺き。三次市指定重要文化財に指定されている。

文化財

広島県指定文化財

  • 史跡
    • 高杉城跡 - 1984年(昭和59年)11月19日指定、2015年(平成27年)1月13日に史跡範囲の追加指定[1]

三次市指定文化財

  • 重要文化財(有形文化財)
    • 知波夜比古神社本殿 - 1959年(昭和34年)12月1日指定[2]

その他

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 高杉城跡(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。
  2. ^ 三次市内指定文化財一覧 (PDF) (三次市ホームページ)。
  3. ^ 観光と旅編集『郷土資料事典34 広島県』人文社P116、1998年

関連項目

  • 高杉城
  • 知波夜比古神社 (三次市三良坂町) - 同じ三次市にある同名の神社。

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