矢口家
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本姓は藤原氏。西毛出身。初代三浦茂尊(天正8年(1580年)没)は小屋城主越前守春継に仕えたが、永禄11年(1568年)武田信玄に攻略された後、下板鼻八幡宮に落ち延び、ニノ祢宜矢口家の養子となったという。 父:矢口並保(ともやす) - 親類青木丑太郎の子。宝暦8年(1758年)矢口家の婿養子となった。文化5年(1808年)没。 弟:松五郎 – 並保三男。剣崎村の養子となった。28歳で死去。 長女:谷(橘女) 長男:矢口一彡 次男:要之祐(要之助) – 榛名山東坊の婿養子となった。 次女:キサ 三女:不与
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矢口家
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本姓は藤原氏。初代三浦茂尊は小屋城主越前守春継に仕えたが、永禄11年(1568年)武田信玄に攻略された後、下板鼻八幡宮に落ち延び、ニノ祢宜矢口家の養子となったという。 父:矢口正喜(林之助、主殿、丹波正) – 文政2年(1819年)6月18日61歳で没。姉:谷(橘女) 弟:要之祐(要之助) – 榛名山東坊の婿養子となった。 妹:キサ 妹:不与 妻:まさ娘:屋恵(やゑ) – 高崎宿士族内田五郎兵衛妻。 養子:柾太郎(丹波、利泰) – 篠原平左衛門の子。孫:竜太郎曽孫:正治 孫:光太郎 孫:すま 孫:ふみ 孫:登喜次郎 孫:憲司 孫:丹司 矢口家は神職を退いた後も参道沿いに屋敷を構え、敷地内に矢口米三が建設した矢口丹波記念文庫には正喜・一彡等の書写資料や旧蔵書が納められる。
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