県立鹿児島医学専門学校時代
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「県立鹿児島医科大学 (旧制)」の記事における「県立鹿児島医学専門学校時代」の解説
1942年12月11日: 専門学校令により県立鹿児島医学専門学校 (旧制) 設置認可 (鹿専2号)。 1943年1月18日: 県立鹿児島医学専門学校学則公布 (鹿児島県令9号)。 1943年4月1日: 県立鹿児島医学専門学校開校。県立鹿児島病院を県立鹿児島医学専門学校附属病院に、県立鹿児島病院霧島温泉療養所を県立鹿児島医学専門学校附属霧島温泉研究所に改称。 1943年4月20日: 鹿児島市山下町の仮校舎で第1回入学式。翌21日、授業開始。 1944年12月: 純心女学校 (鹿児島市鴨池町) の校舎を買収、第2校舎とする。同月、鴨池町の新校舎の第1期工事竣工、第1校舎とする。従来の仮校舎は第3校舎と呼称。 1945年6月: 空襲で附属病院・第3校舎焼失。 1946年10月25日: 鹿児島県議会、医専の大学昇格を決議。 1947年3月29日: A級医専と判定され、存続決定。 1947年5月: 附属病院の再建開始。
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