県立鹿児島中学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 09:39 UTC 版)
中学校教則大綱により、明治11年(1878年)7月設立。監事は黒木才蔵。場所は、御作事方跡地で、現在の鹿児島市役所前、みなと大通り公園一帯に当たる。のち、敷地の南半分は名山学校に割譲された。授業料は月5銭(当時)で、兄弟が在学の場合は一人が半額だった。課程は正則及び変則の2科編制で当初は変則中学科300名を募集した。また設立当初は、定められた中学区内から生徒を募集していたが、明治12年6月に学区制限を廃した。 明治14年(1881年)には本科4年及び予科1年に改編され、変則中学科を予科に吸収し、本科へ進級できるようになったが、さらに明治16年、初等科3年及び高等科2年に改編された。
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