県村_(鳥取県)とは? わかりやすく解説

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県村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 00:05 UTC 版)

あがたそん
県村
廃止日 1957年1月1日
廃止理由 新設合併
県村大高村伯仙町
現在の自治体 米子市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,199
国勢調査、1955年)
隣接自治体 大高村、大山町岸本町、米子市
県村役場
所在地 鳥取県西伯郡県村
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県村[1][2](あがたそん)は、鳥取県会見郡(のち西伯郡、現・米子市)にかつて存在した村である。

地理

郡の中部にあり、大高春日五千石大幡の4村、日野郡の八郷日吉の2村に連る[3]。日野川の下流平野の一端に位置する[4]

大字

  • 福万 - 中福万はミノカヤ最大の地主である高田家の所在地[4]下福万未解放部落で、特有の習俗が残存し、明治以前には戸数が少なく、農業を営まなかった[4]。急速に人口が増加し、農家が多くなった[4]。ほとんどが高田家の小作人だった[4]
  • 河岡
  • 石州府
  • 日下

歴史

沿革

1889年から1957年の村の名称である[5]。はじめは会見郡1896年からは西伯郡に所属する[5]。河岡村、福万村、石州府村及び日下村の区域をもって、県村が発足する[5]。旧村の名称を継承した4大字を編成する[5]

敗戦後は「共産村あがた」として知られる[6]1957年1月1日、県村及び大高村が合併して、伯仙町が発足する[7]。県村の4大字は伯仙町の大字に継承する[5]

事件

1922年7月、日野八郷村川堤のを守護する八郷村民と、それを奪って水を引こうとする県村大字日下村民とが大山山麓の河原の上で数百名入り乱れて大乱闘を起こし、殺人事件が発生した[8]。日下村の船田貞次郎は頭に投石をうけ、昏倒し八郷村側の数名に棍棒で殴殺された[8]

経済

産業

重要産物は[1]1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると農産239.287円、林産14.492円、畜産4.965円である[2]。工産6.776円[2]1950年度の資料によると、面積8.22方キロ、828町歩、耕地250町歩、その内田170町歩、畑80町歩、山林原野350町歩、田の二毛作率50%で、水稲反収2.5石、裏作の大麦1.2石、畑作は麦桑蔬菜等[4]。畜産の中心は和牛で、飼育頭数200、飼育者138人[4]

『大日本篤農家名鑑』によると、篤農家は中本、松本などがいた[9]

地主

地主は高田、山崎、中本、松本、大前、野坂、影山などがいた[注 1]

行政

村長助役収入役は以下の通りである。

村長

助役

  • 足立健弼[1]
  • 船本儀一[2]
  • 松本善治[12]

収入役

  • 松原健一[1]
  • 森田為次郎[2]
  • 船越泰一[12]

人口

1891年の戸数281、人口1391[5]。1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると戸数323、人口1665[2]1950年の世帯数388、人口2193[5]

地域

施設

宗教
  • 日下神社[1]
  • 下河原神社[1]
  • 中原神社[1]
  • 瑞仙寺[1]
教育

出身人物

  • 高田博愛(高田家12代目、金融業、地主、農業、鳥取県多額納税者)

脚注

注釈

  1. ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』によると、高田博愛の所有地価金額は3万2508円26銭、影山伴次郎は4197円16銭、山崎長次郎は4177円33銭、松本倭重は3185円9銭、大前善次郎は3072円70銭、野坂松太郎は2966円4銭、中本範治は999円4銭である[10]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 『陰陽八郡郡勢一斑』194 - 196頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『市町村治績録 改訂第2版』鳥取県32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月8日閲覧。
  3. ^ a b 『郷土更生誌』259頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『村落社会研究 第2巻(農地改革と農民運動)』99 - 103頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月11日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』62頁。
  6. ^ a b 『ドキュメント中国百年 第2部(流星群)』72 - 73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月3日閲覧。
  7. ^ 『鳥取県大鑑』74 - 75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月8日閲覧。
  8. ^ a b 『鳥取明治大正史 新聞に見る世相』215、220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月30日閲覧。
  9. ^ 『大日本篤農家名鑑』鳥取県174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月12日閲覧。
  10. ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』96 - 98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月12日閲覧。
  11. ^ 『鳥取島根官民肖像録』265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月3日閲覧。
  12. ^ a b c 『鳥取縣職員録 昭和19年8月1日現在』102頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月8日閲覧。
  13. ^ 『鳥取県議会年報 昭和22-32年度』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月8日閲覧。
  14. ^ 『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』鳥取県847頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月3日閲覧。

参考文献

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
  • 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
  • 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
  • 『郷土更生誌』内外新聞通信社、1935年。
  • 文部省社会教育局編『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』文部省社会教育局、1937年。
  • 『鳥取縣職員録 昭和19年8月1日現在』鳥取縣内政部人事課、1944年。
  • 鳥取県会事務局調査課編『鳥取県議会年報 昭和22-32年度』鳥取県会事務局、1951年。
  • 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
  • 中国新聞社編『ドキュメント中国百年 第2部(流星群)』浪速社、1967年。
  • 村落社会研究会編『村落社会研究 第2巻(農地改革と農民運動)』御茶の水書房、1977年。
  • 松尾茂『鳥取明治大正史 新聞に見る世相』国書刊行会、1979年。
  • 角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。

関連項目




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