直系子孫の急激な拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:05 UTC 版)
「セントサイモン」の記事における「直系子孫の急激な拡大」の解説
セントサイモンの種牡馬成績は20歳に達した1901年頃を境に下降線を辿り始める。1902年に息子パーシモンがセプター等の活躍によりリーディングサイアーになるとセントサイモンは2位に落ち、二度とリーディングを取ることはなかった。しかしセントサイモンに代わって産駒が種牡馬として活躍する様になり、パーシモンの他にもセントフラスキン、デスモンド等数多の後継種牡馬が登場した。イギリスでは1888年 - 1913年の26年間にガロピン系だけで19回種牡馬リーディング1位を取っている。クラシックは1901年にガロピンとセントサイモンの直系子孫で4勝、1902年にも直孫で独占し、1912年の種牡馬リーディングでは首位パーシモンを筆頭としてデスモンド、セントフラスキン、チョーサー、ウィリアムザサードの5頭が7位までにひしめいた。この頃イギリス国内で行われる重賞勝ち馬の半分までをセントサイモン系が占めるまでになったという。「セントサイモン系でなければサラブレッドではない」という言葉も使われた。
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