ウィリアムザサードとは? わかりやすく解説

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ウィリアムザサード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/04 14:17 UTC 版)

ウィリアムザサード
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1898年
死没 1917年2月2日
セントサイモン
グラヴィティ
生国 イギリス
生産者 第6代ポートランド公爵
馬主 第6代ポートランド公爵
調教師 ジョン・ポーター
競走成績
生涯成績 14戦10勝
獲得賞金 13,578ポンド
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ウィリアムザサード (William the Third) とは、イギリス競走馬種牡馬である。

馬名はイングランド国王ウィリアム3世にちなむ。

セントサイモンのオーナーとして知られる第6代ポートランド公爵が晩年に生産した名ステイヤーでセントサイモン最後の名馬といわれる[誰によって?]

経歴

2歳時は10月に一度だけ走り、8頭立ての着外。

3歳時は4月から2連勝の後、迎えたニューマーケットステークスでは2000ギニー2着で後のセントレジャーステークス勝馬ドリクレスを破り、単勝15倍を超える穴馬として臨んだダービーステークスでは1番人気ヴォロディオフスキーと最後まで競り合って3/4馬身差の2着に善戦した。

4歳時、アスコットゴールドカップではヴォロディオフスキー、前年のアスコットゴールドカップ馬サントイ、オークス馬キャップアンドベルズ、パリ大賞の勝馬シェリといった錚々たるメンバーをまとめて下す5馬身差の圧勝を決め、さらにその翌日には3マイルの長丁場クイーンアレクサンドラプレートに出走し、後続を6馬身ちぎって圧勝した。9月にはドンカスターカップを8馬身差で完勝した。

5歳時、アスコットゴールドカップ連覇を目指して調教を続けていたが、調教中に石につまずき、つなぎを痛めて引退した。

種牡馬として

種牡馬入り後は1911,14年にイギリスサイアーランキングで2位につけた。1922年にはイギリスチャンピオンブルードメアサイアーとなった。

主な産駒

  • ウィルオニキスWillonyx - アスコットゴールドカップ、ジョッキークラブカップ
  • ウィンキーWinkie - ファーラップの母となるエントリーティEntreatyの父

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