的石伝説とは? わかりやすく解説

的石伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:15 UTC 版)

阿蘇山」の記事における「的石伝説」の解説

阿蘇市的石地名の語源でもある“的石”は北外輪山のふもとにある石で、その昔阿蘇神社祭神である健磐龍命阿蘇大明神)が阿蘇五岳外れにある往生岳(往生岳は五岳含まれない)から弓の稽古をする時に的にしたという伝説からこの名がつけられている。ちなみに往生岳山頂から的石までは約7kmほどの距離となっている。 また、往生岳から的石まで射られた矢は、健磐龍命従者で鬼八という足の速い男が往生岳から的石まで走って取りにいき健磐龍命渡していた。99回目までは鬼八も的石往生岳を往復して矢を運んでいたが、100回目疲れて的石から往生岳めがけ矢を投げ返した。その矢がたまたま健磐龍命の腿に当たり、それに腹を立てた健磐龍命は鬼八を成敗しようとして追った。鬼八は阿蘇中を逃げ回り、更に阿蘇の外まで逃げ、そこで一息ついて8回屁をひったといわれその場所の地名である矢部語源になったと言われるその後も鬼八は健磐龍命追われついには捕らえられ首をはねられたが、不思議なことに首をはねてもはねてもすぐに首は元通りにくっつく。腕や足をはねてみたがやはりすぐに元通りとなる。そこで健磐龍命は鬼八の体をばらばらに切り、それぞれ離れた場所に埋めたそうするともう鬼八はよみがえることがなくなったという。 しかしその後、鬼八の怨念阿蘇の地に早霜降らせるようになり、稲に大きな被害が出るようになった。そこで健磐龍命役犬原という場所にの宮と名づけた社を建て鬼八の怨霊鎮めたという。現在でも神社では幼い女子59日間火を絶やさずお籠りをするという神社火焚き神事残っている。また、高千穂にも“鬼八伝説”が残っている。

※この「的石伝説」の解説は、「阿蘇山」の解説の一部です。
「的石伝説」を含む「阿蘇山」の記事については、「阿蘇山」の概要を参照ください。

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