登山計画
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目的の山を選び、期日を決め、パーティ(隊)のリーダーを決める。さらに、予算、各自の任務分担、行動予定、食料・装備などについて協議する会合をもつことにより、全ての参加者が、目的の山についての知識を得て、コースも熟知しているようになれば理想的である。 登山者が2人以上の場合には、必ずリーダーが定められる。パーティ(グループ)が大人数の場合はサブリーダーも置き、リーダーの補助をさせる。 登山にはトレーニングも必要である。筋肉を強くすることよりも、耐久力をつけることと健康の堅持に重点を置くトレーニングを平素から行うべきだとされる。
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登山計画
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「札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件」の記事における「登山計画」の解説
1965年3月11日から24日までの14日間(行動9日、停滞5日)に渡る春山登山計画として立案された。北海道大学山岳部では登山計画についてよく検討したうえで登山本部に届出。万一事故が起きた場合でも北大内に留守本部を設置し、OB等がすぐ出動できる動態をとっていた。登山計画のコースは以下の通り。 北札内―札内川―十の沢左岸の尾根―国境稜線―カムイエクウチカウシ岳―神威岳(カムイ岳)―幌尻岳―トツタベツ川―八千代下山 パーティーのメンバーは以下の6名。 沢田義一 - リーダー。農学部4年 中川昭三 - アシスタントリーダー。文学部4年 橋本甲午 - 農学部4年 松井作頼 - 教養部1年 坂井文寛 - 教養部1年 田中康子 - 教養部2年 パーティーは3月11日に入山した。3月13日には札内川より十の沢左岸の尾根に到達したようである(遺品のカメラに記録されていた写真より推定)。現地は13日昼頃から無風大雪となり14日未明まで続いた。14日未明、露営中に大規模な雪崩に遭遇する。
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