発見とその後の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 22:31 UTC 版)
1929年、周口店の竜骨山に開口する「猿人洞」にて中国の若手人類学者裴文中により北京原人の頭骨が発見され、竜骨山での発掘がさらに進展していた1933年、調査の一環として裴文中は、猿人洞の上方にある洞窟を発掘した。その結果、老若男女7体分の化石人骨と石器・骨器その他の文化遺物が発見された。人骨は、伴出した動物化石や文化遺物から、 ヨーロッパのクロマニョン人と同時期の後期旧石器時代の人類のものである事が明らかになり、東アジアで最初に発見された化石の現生人類となった。これを研究したフランツ・ワイデンライヒ(英語版)は、発見された上洞人は一つの家族であり、また頭骨に穿孔があるとして、殺害されて埋められたと考えたが、遺体に赤色顔料が用いられていた点などから、裴文中その他多くの研究者は、正規に墓地に埋葬されたとしている。 1941年、太平洋戦争を避けるため(米国に避難)、北京原人の化石とともに北京にある米軍の兵営に運び込まれた後に行方不明となっている。
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