発見と中生動物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:33 UTC 版)
最初の記録は1787年、イタリアのFilippo Cavoliniがタコの体内からウナギのような姿をした動物とともに球状のインフゾリアを観察したというものである。1839年、ドイツのAugust Krohnはその存在を詳細に記録した。1849年、スイスのアルベルト・フォン・ケリカーは生活史に2種類の幼生があることから、δι = 2, χυημα = 胚 (embryo)という意味のDicyemaと名付けた。その後1876年、ベルギーの研究者 Édouard van Benedenは、Dicyemaを含む数属を新たな目 Dicyemides van Beneden, 1876 に含め、ニハイチュウを系統進化上、原生動物と後生動物の中間に位置すると考え、中生動物を設立した。古屋(2004b)によると、これはニハイチュウが示す簡単な体制から、後生動物の起源的動物をイメージしたと考えられている。1882年、van Benedenは中生動物門にチョクエイチュウ(直泳虫、またはチョクユウチュウ、直游虫)を含め、ニハイチュウ類をRhombozoa、チョクエイチュウ類をOrthonectidaとして2目をこの門に置いた。
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