発色団説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:31 UTC 版)
有機化合物と色との関係に初めて言及したのはドイツ人化学者グラーベ (C.Grabe) とリーベルマン (C.T.Libermann) である。彼らは1868年に、色を持つ化合物には炭素、窒素、酸素の不飽和結合が含まれることを発見した。その後、ドイツ人化学者ウィット (O.N.Witt) が学説として纏め、ウィットの発色団説と呼ばれるようになった。この理論に基づき研究と実用化が進められ、19世紀終わりから20世紀初頭にかけて石炭化学工業を元にした染料化学工業が勃興した。 1876年にウィットは色を発現する化学構造に発色団(はっしょくだん、chromophore)という名称を与え、呈色の原因として必要な原子団を色原体(しきげんたい、chromogen)、染色性を高める為の置換基を助色団(じょしょくだん、auxochrome)と命名し、両者から色素が構成されるとした。ウィットは次の原子団を色原体とした。 >C=C<、>C=O、>C=N-、>N=N<、-N=O そして、次の置換基を助色団とした。 -CH3、-OH、-NH2、-NHCH3、-COOH また、1888年にイギリスのアームストロング (H.E.Armstrong) は呈色には分子内にキノン構造を持つ必要があるとしたキノン説を提唱した。これは発色団説の特定の場合であると考えられる。 その後、呈色の説明として分子軌道法による機構に発色団説はとって代わられた。したがって、今日の発色団や助色団の意味はウィットの提唱した当時とは異なる。分子軌道法による呈色機構は後に詳説するとして、今日において発色団の意味は、不飽和結合系に作用して共役系を延長したり電荷の偏りを偏重させる原子団を指す。例を次に挙げる。 >C=C<、>C=O、>C=N-、-N=N- (>N-N<)、-N=O、-N-O-、-NO2 また今日における助色団は塩を形成することで染色性を助け、且つ共役系に対して電子供与性あるいは電子求引性を示す置換基を指す。その多くは非共有電子対を持つ電子供与性置換基である。例を次に挙げる。 -CH3、CN、-COOH、-O-、-OH、-OR、-NH2、-NR2、-Cl、-Br、-NO2、-SO3H したがって、助色団も積極的に呈色に関与しており、概念上は発色団に含まれるが、呈色に関わる主たる原子団を発色団と呼ぶ。
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