町田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 14:01 UTC 版)
町田氏 | |
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本姓 | 惟宗朝臣島津庶流 (称・清和源氏頼朝流島津庶流) |
家祖 | 町田忠光 |
種別 | 武家 士族 |
出身地 | 薩摩国日置郡町田 |
主な根拠地 | 薩摩国日置郡伊集院郷石谷村(現・鹿児島市石谷町) 長崎県 |
著名な人物 | 町田久倍 町田久則 町田久成 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
歴史
出自
薩摩国日置郡町田(鹿児島県日置市)を領した島津忠経(島津忠時の七男)の三男である忠光を租とする[1]。後に日置郡伊集院郷石谷村を本領とし、一時は石谷姓を名乗った。中世期には島津氏所領の地頭を務めた。島津家中における家格は御一門に次ぐ一所持[2]で1700石を有した[3]。
江戸時代以降
文禄年間(1592年 - 1596年)に初めて家老を出し、江戸時代には薩摩藩の家老を複数輩出した[4]。
出典
関連項目
- 伊集院氏 - 町田氏と祖を同じくする島津氏の庶流。
町田氏(石谷氏)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/17 05:43 UTC 版)
島津氏2代当主島津忠時の七男は忠経で常陸守を称した。忠経の三男である忠光が町田氏の祖となる人物である。その後島津氏9代当主の島津忠国が町田高久に元々伊集院氏領であった石谷(現在の鹿児島市石谷町)の地を与えた。この件を発端として町田高久が伊集院煕久に殺害される事件が発生し、伊集院氏は島津氏より追放され、町田氏は再び石谷の地を領有することとなる。久倍の代になり菱刈氏討伐の功により菱刈市山地頭となり、石谷を離れるが、天正6年に伊集院地頭となり再び石谷を領する。町田氏は領地名から石谷氏とも呼ばれることもある。なお、『本藩人物誌』では、町田高久の代より石谷を号し、久倍より町田に復したと記されている。
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