町人を中心とした死生観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 02:22 UTC 版)
江戸時代は武家の開いた幕府であったが、参勤交代などで武士の経済力が弱まり相対的に町人の立場が強くなると彼らを中心とした文化の興隆を見ることとなる。この時期での変遷は、「浮世」という用例の変化に象徴的に表れている。浮世絵で有名なこの言葉はもと「憂世」と書き、前述した仏教の穢土のように否定的なニュアンスを持っていたが、江戸時代になると「儚いから」厭う、というものが転じてどうせ「儚いのなら」刹那の間は楽しく過ごそうという用法に変わっていく。いわゆる浮世享楽であるがこの源泉としては『閑吟集』で歌われている恋歌が、時代こそ遡るものの武士や僧ではない庶民の心を表した点で近いと考えられる。『閑吟集』の精神をよく表しているのは なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ というものがあり近世に入っての用法でも 夢の浮世をぬめろやれ、遊べや狂へ皆人 仮名草子、『恨之介』(作者不詳、17世紀初頭) という表現が見え(「ぬめろやれ」は「浮かれ歩け」というような意味)、近世の恋愛文学でも浮世はたびたび使われる(「浮世」には男女の仲という意味や、当世風のという意味もあり浮世絵はこの用い方)。この延長上に「心中」という観念はある。著名なものに近松門左衛門の『曽根崎心中』があり、お初の心境として「色に焦がれて死なうなら、しんぞこの身はなり次第」つまり恋に焦がれて死ぬのであればこの身はどうなってもかまわない、と描写される。
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