甲案の提示と交渉の遷延
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
11月7日、野村大使はハル国務長官に甲案を提示した。ハルはマジックによって甲案の内容はもちろん、乙案が最後にあることも知っていたので、甲案はほとんど問題としなかった。 その後、ハルは甲案に答える代わりに、これまでの交渉で日本側が提案した内容に関して東條内閣に確認を行い、また、15日には通商無差別の原則に関するオーラルと経済政策に関する日米共同宣言の提案をしたが、これらはアメリカの誠意を示すジェスチャー、あるいは時間稼ぎであった。事実、日本側は再三にわたって甲案に対する回答を求めていたが、アメリカ側は抽象論を繰り返し、研究の上回答するなどと確答を避け続けた。 15日の会談では、ハルは中国における通商無差別待遇の問題について、甲案の「全世界に適用」という但し書きの撤廃を要求し、さらに三国同盟の「死文化」をも繰り返し要求した。日本側は三国同盟の脱退なしに日米間の妥結は不可能という意味かと問い質したが、ハルは確答を避けた。さらに今回の議論を甲案の回答と看做してよいかという質問からも、ハルは逃げを打った。 交渉が困難であることを痛感していた野村は、アメリカは日本に譲歩するよりも戦争を選ぶ決意であり、交渉期限はつけずに長期的な構えをする方がいいと具申している(14日付野村電)。しかし、東郷外相は交渉期限は絶対に変更不可と答えた(東郷も期限付交渉には賛成していなかったが)。
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