田原源一郎とは? わかりやすく解説

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田原源一郎

(田原慶子 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 14:25 UTC 版)

たはら げんいちろう

田原 源一郎
生誕 1929年12月9日[1]
日本 東京都[1][2]
死没 (2007-01-04) 2007年1月4日(77歳没)[3]
出身校 早稲田大学[2]経済学部[4]
職業
肩書き
  • 株式会社田原屋 元代表取締役
  • JAFモータースポーツ 名誉委員
配偶者 田原 慶子[5]
子供
  • 田原 績(長男)[3]
  • 櫻井 素子(娘)[6]
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田原 源一郎(たはら げんいちろう、1929年12月9日[1] - 2007年1月4日[3])は、日本実業家馬主、元カーレーサー

東京都台東区元浅草にある広告物製作業を手がける株式会社田原屋の代表取締役を務めた。

経歴・人物

1929年東京都出身[2]早稲田大学を卒業後株式会社田原屋を設立した[2]。全日本旗業連合会会長、東京旗商業協同組合理事長を歴任[2]2007年1月4日肺炎のため死去[3]。77歳没。

かつてはカーレーサーとして活躍。1963年第1回日本グランプリでは国内スポーツカーB-IIクラス(1300cc - 2500cc)にダットサン・フェアレディ1500で出場し、優勝する。SCCN(ニッサンスポーツカークラブ)の初代会長であり、1965年以降は日本自動車連盟 (JAF) 内の各委員会の委員、委員長を務めた。1995年にはその功績によりJAFモータースポーツ名誉委員の称号が贈られている。

田原が操縦したダットサン・フェアレディ1500

馬主活動

「桃、黒蛇目散、桃袖」の勝負服を着用したクリストフ・スミヨン

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は桃、黒蛇目散、桃袖。冠名には自身が育った浅草の地から「アサクサ」を用いた[5]。存命時は一般社団法人東京馬主協会相談役[3]

2005年にはアサクサデンエン安田記念を制し、馬主となってから40年目にして最初で最後のGI制覇となった[5]

死去後、所有していた競走馬と勝負服の服色は妻の慶子に引き継がれた[注 1]。死去から約1か月後の2月11日にはアサクサキングスきさらぎ賞を制し、のちに菊花賞にも勝利している。その後、慶子も2024年10月11日に死去していたことが『優駿』の吉川良による連載エッセイで明かされており、現在は娘の櫻井素子が馬主活動を引き継いでいる[6]

主な所有馬

GI競走優勝馬

重賞競走優勝馬

田原慶子の所有馬

GI級競走優勝馬
重賞競走優勝馬

脚注

注釈

  1. ^ 慶子は源一郎の生前から馬主であり、引き継ぐ前は桃、黒蛇目散、袖黒二本輪の服色を使用していた。

出典

  1. ^ a b c 『日本モーターレース史―第一回日本GPから20年』233頁
  2. ^ a b c d e 『全国繊維企業要覧』1990 東日本篇 354頁
  3. ^ a b c d e アサクサデンエンの馬主、田原源一郎氏が死去”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2007年1月6日). 2023年7月2日閲覧。
  4. ^ 『会員名簿』昭和36年度版 714頁
  5. ^ a b c 【安田記念】6歳初GIでやった!デンエンが春のマイル王”. サンケイスポーツ. 産経新聞社. 2005年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月4日閲覧。
  6. ^ a b 優駿』、中央競馬ピーアール・センター、2025年2月、123頁。 

関連項目

参考文献

  • 桂木洋二『日本モーターレース史―第一回日本GPから20年』(GP企画センター、1983年7月)
  • 信用交換所総合事業部 編『全国繊維企業要覧』1990 東日本篇(信用交換所大阪本社、1989年9月)
  • 優駿』2025年2月号(中央競馬ピーアール・センター

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