田中角栄研究
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1974年(昭和49年)10月9日発売の『文藝春秋』11月特別号に、立花の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」と、児玉隆也「淋しき越山会の女王」が掲載される。田中金脈問題として大きな反響を呼び、田中角栄首相退陣のきっかけを作ったとされる(ただし、立花本人は自らのレポートについて、「田中退陣の必要条件の一つであったことは否定できないが、十分条件でなかったことはたしかである」と述べている)。「特集 田中角栄研究」により児玉隆也とともに第36回文藝春秋読者賞を受賞。 文藝春秋は角栄批判から手を引くが(そのため単行本は講談社で出された)、その後も発表場所を変え、折に触れて田中の問題を取り上げた。ロッキード事件で田中が逮捕された後は東京地裁での同事件の公判を欠かさず傍聴し、一審判決まで『朝日ジャーナル』誌に傍聴記を連載した。また同誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、俵孝太郎、渡部昇一ら田中角栄擁護論者を「イカサマ論法にして無知」と非難した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}なお渡部は後年には、立花のことを評価するコラムを雑誌に発表している[要出典]。 また「田中角栄研究〜その金脈と人脈」では、ロッキード事件の「丸紅ルート」および「全日空ルート(これを立花はロッキード事件から独立した「全日空疑獄」であると論じている)」についても詳細な取材、記述を行っている。『朝日ジャーナル』での担当者は筑紫哲也。以後、筑紫の番組に出演するなど公私ともに親交を持つ。なお、1984年には、「田中角栄と私の9年間」で第45回文藝春秋読者賞を受賞した。
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