田中角栄へ直訴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:19 UTC 版)
1981年5月、榎本敏夫が離婚の協議事項を守らないことに対して、田中角栄宛てに配達証明付き直訴状を書く。この手紙の中では、その時、地検に呼び出されていることを示唆して「榎本の仕打ちに対する憎さから、いつ爆発するやら不安でなりません」としたためており、話が前に進まないようであれば、口を割ってしまうかもしれないと暗示した。手紙の最後には「驕るなかれと榎本に伝えてください」と対決姿勢を明確にしたにも関わらず、仲介者を挟んで三恵子に伝えられた返事は、「これはあくまで夫婦の話で私(田中角栄)が関与することではない。どのようにでも夫婦間でなすって下さい」というそっけないものだった。これが榎本三恵子が最終的に検察に全面協力するという引き金となる。しかし後の会見で、この手紙が本当に田中角栄の手元まで届いたのか疑わしく、側近の人が勝手に処理したのではと言っている。
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