生産・販路の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 05:57 UTC 版)
偶然の産物として完成した「えのき氷」について、阿藤は東京農業大学の江口文陽に相談した。すると、この調理法なら効率よく栄養分を吸収できるとお墨付きをもらった。 阿藤は、2008年5月から本格的にえのき氷をつくりはじめ、商品化を目指した。しかし、中野市には当時、冷凍食品を作るための施設がなかった。阿藤の同僚だった日本きのこマイスター協会の理事長前澤憲雄に相談し、平林産業の社長である平林京子とのコネをつかむことができ、3年かけてえのき氷を商品化させることに成功した。その後、「えのき氷」の名称は、商標として2009年12月1日に出願され、2010年7月23日に登録されている。 2011年にえのき氷は、長野県内を中心に販売を開始した。まもなく健康や美容に良いと報道されブームとなった。やがて減量効果があるという口コミが広がり、JA中野市が実施するえのき氷の通信販売は1〜2か月待ちという状況だったこともある。 この盛況ぶりは「ゆるキャラに頼らない町おこし」として報道されたこともある。阿藤は2013年のテレビ番組の取材に対して、今後外食チェーンとも提携して、さらにえのき氷の販売を拡大する方針であることも発表している。 他にも阿藤博文は、エノキタケをヨーグルトと組み合わせることも構想しており、実際こちらは長野市農業協同組合と信州大学工学部の共同で商品化された。 その後阿藤は3期9年間組合長を務めた後、2016年に退任した。
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