生活協同組合での活動
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小泉と妻ハツセは賀川豊彦に共鳴し、1921年に設立された神戸購買組合(現在の生活協同組合コープこうべの前身の一つ)に加入した。ハツセは購買組合の活動に積極的に参加した。1926年4月、御影に転居し灘購買組合(現在の生活協同組合コープこうべの前身の一つ)に加入。1935年2月、小泉は灘購買組合の理事に就任。戦時体制が強化され組合活動の困難さが増す中で、1939年12月、灘購買組合組合長に就任した。神戸消費組合と協力を進め、1941年4月、兵庫県市街地購買組合連合会が結成され会長に就任。その後、消費組合を代表して、兵庫県米穀配給組合副理事長、兵庫県食糧営団常務理事を務め、1943年2月、灘購買組合組合長を、同年10月、兵庫県市街地購買組合連合会会長をそれぞれ辞任した。1945年11月、神戸消費組合組合長に就任し、戦後の組織の再建と発展に尽力し、神戸生活協同組合に改称後も組合長を務め、1950年5月に組合長を辞任した。
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