生活と評判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:47 UTC 版)
佐藤について一般的には、桜の撮影から感動して休暇を植樹に費やした、といった「美談」が多いが、生活は決して楽ではなかった。国鉄の給料だけではやっていけず、家計を支える上で自宅を民宿にして営業していた。また、一緒に桜を植えに行った運転士の話だと、彼は給料をほとんど桜につぎ込んでいたこと、同時期に体調を崩しがちで病休が多いことも、給料に反映されていた。そんな状態で家庭を省みないで桜の世話をすることに対する妻の苛立ちは、映画『さくら』でも描かれている。 それでも、名金線は彼なしには語れない。実際、没後30年近くなっても、沿線では「国鉄の良ちゃんを知らんものはおらん」といわれるくらいであった。また、名金線廃止の時も美濃白鳥駅では、白鳥町(当時)によるセレモニーが行われ、町長が彼の功績を讃えていた。 その自宅の民宿「てんご」だが、現在でも営業している。郡上市白鳥地区はスキー場が多く、冬季は学生の合宿に、夏季は建設現場の飯場(宿舎)代わりに利用されている。映画『さくら』撮影時にもスタッフの撮影基地として使われた。出演したキャストのサイン色紙が館内に展示されている。 現役車掌の佐藤の人柄は子ども好きであり「僕、どこへ行くんよ。腹、減っとらんか。」などと話しかけることも多かったという。国鉄バスの輪禍で子供が死亡したとき、国鉄職員の制服で通夜に参列していた佐藤が、ひときわ目立つ嗚咽にむせんでいたという。(佐藤の後輩や佐藤が現役車掌時代に子供であった者の回想伝) なお佐藤については異なった伝もあり、映画『さくら』を監督する際に神山征二郎が生前の佐藤を知る同僚や同級生に取材したところ、佐藤の人柄について褒める人はおらず、へそ曲がりな変人だという話も聞けたという。
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