生方敏郎とは? わかりやすく解説

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生方敏郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 16:24 UTC 版)

生方 敏郎(うぶかた としろう、1882年明治15年〉8月24日[1][2] - 1969年昭和44年〉8月6日[3][4][2][5])は、日本随筆家評論家。政治・社会への風刺を得意とし、太平洋戦争中も軍部に対する皮肉の手を緩めることがなかった。

生涯

群馬県利根郡沼田町[1]上之町(現・沼田市上之町)に生まれる[3][4][6][5]。旧制前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校[3][4][6]明治学院中学を経て早稲田大学英文科を卒業[7][3][4][6]。在学中からトルストイに傾倒し、アナトール・フランスドーミエの影響も受けた[1]

大学卒業の翌1907年明治40年)に渋川玄耳の紹介で東京朝日新聞記者となる[1]。さらにやまと新聞大正日日に転じ、早稲田文学記者でもあった[1]。当時のほとんどの雑誌・新聞に随筆、翻訳、評論、小説、雑文を書き、その風刺の効いた文章は読者の支持を集めた[1]大杉栄とも親しく、『近代思想』にも協力した[1]

1927年昭和2年)より個人雑誌『ゆもりすと』を発行[1][2][6]。さらに1934年(昭和9年)[8]より個人雑誌『古人今人』を発行し、晩年まで続けた[3][4][6]。『古人今人』では1938年(昭和13年)に至っても「愛国行進曲を罵る」と題した評論を載せており、官憲は発送先の制限や落首の禁止は行ったものの、刊行自体は禁止されることなく続けられた[9]

「現実社会に欠陥のある限りは、諷刺文学は絶えない」という言葉を残した[1][5]

墓所は多磨霊園[2]

家族

実家は沼田の薬種商・かどふぢ[5]

  • 義父:生方弥右衛門 - かどふぢ当主。先妻を亡くし、かくを後妻に迎えるが死去。
  • 実父:生方幸助 - 弥右衛門死後にかくが婿として迎えた[5]
  • 母:かく - 戸鹿野村の星野家の出身。弥右衛門の後妻[5]
  • 伯父(かくの兄[4][5]):星野宗七 - 生糸・蚕種商。

著書

  • 『竜神丸 海上奇談』菅谷与吉 1912
  • 綱島梁川の病間録』名著評論社 1915(名著梗概及評論)
  • 『敏郎集』植竹書院 1915
  • 夏目漱石氏の我輩は猫である』名著評論社 1915 (名著梗概及評論)
  • 『人のアラ世間のアラ』米山堂 1917
  • 『敏郎対話一円札と猫』日本書院 1918
  • 『諷刺・玉手箱を開くまで』日本書院 1919
  • 『洋服細民の悲しい笑ひ』日新閣 1920
  • 『金持の犬と貧乏人の猫』日本書院 1920
  • 『三都見物』日本書院 1921
  • 『虐げられた笑』実業之日本社 1922
  • 『女性は支配する』日本書院出版部 1923
  • 『謎の人生』教文社 1924
  • 『福太郎と幸兵衛の対話』春秋社早稲田文学パンフレツト) 1924
  • 『金ゆゑに』共楽社 1925
  • 『山椒の粒』実業之日本社 1925
  • 『哄笑・微笑・苦笑』大日本雄弁会 1926
  • 『明治大正見聞史』春秋社 1926 のち中公文庫
  • 『君と僕』大日本雄弁会 1927
  • 『東京初上り 生方敏郎集』現代ユウモア全集刊行会 1928
  • 『食後談笑』万里閣書房 1928
  • 『吸血記』万里閣書房(悪の華文庫)1930
  • 『人生を裏から覗けば』さんもん書房 1935
  • 『ユーモア人生学』さんもん書房 1936
  • 『不景気を笑ふ話』森田書房 1936
  • 『源氏と平家 治承四年六月より寿永三年正月まで』古人今人社 1939
  • 『源平太平記 読切日本外史』文松堂 1942

翻訳

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 日本近代文学館 編『日本近代文学大辞典』講談社、1984年10月24日、216頁。doi:10.11501/12450396 (要登録)
  2. ^ a b c d 長谷川泉 編『現代文学研究 : 情報と資料』至文堂、1986年11月20日、150頁。doi:10.11501/12450476 (要登録)
  3. ^ a b c d e 岸大洞; 五十嵐富夫; 唐沢定市『群馬県人国記』 利根・沼田・吾妻の巻、歴史図書社、1979年、135-136頁。doi:10.11501/12260349 (要登録)
  4. ^ a b c d e f 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、84頁。doi:10.11501/12189010 (要登録)
  5. ^ a b c d e f g 高山正『利根沼田の人物伝』上毛新聞社、2018年3月26日、284-285頁。ISBN 978-4-86352-205-3 
  6. ^ a b c d e 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年3月20日、83頁。 ISBN 978-4-88058-988-6 
  7. ^ 『現代文芸読本 : 教授資料. 巻2』国語教育研究会 編 (永沢金港堂, 1926)
  8. ^ 『近代日本の思想家』『現代文学研究 : 情報と資料』では1935年(昭和10年)8月。
  9. ^ 家永三郎『近代日本の思想家』(新版)有信堂、1970年6月20日、256-260頁。doi:10.11501/12230455 (要登録)
  10. ^ 桑原健次郎 編『沼田の民俗と伝承』沼田市教育委員会、1975年12月15日、263頁。doi:10.11501/9640514 (要登録)
  11. ^ 星野達雄『星野光多と群馬のキリスト教』星野光多と群馬のキリスト教刊行会, 1987.7[要ページ番号]

参考文献

  • 新潮日本人名辞典

関連項目




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