生い立ち - カーペンターズ結成
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「カレン・カーペンター」の記事における「生い立ち - カーペンターズ結成」の解説
アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴンに生まれる。家族は1963年にロサンゼルス郊外へ転居した。その頃、兄のリチャードが近所の公園のコンサートでピアノを弾いていた際、兄に促されてスキータ・デイヴィスのヒット曲「この世の果てまで」を歌った。これが、兄妹一緒に人前で行った初めての演奏となる。ただし、13歳の頃は、将来は看護師か画家になるのが夢だったという。 兄と同じダウニー高校では、マーチングバンド部に所属。兄のリチャードが音楽で才能を開花させていた影響を受けて、10代半ばになると、好きだったビートルズのリンゴ・スターやジャズ・ドラマーのジョー・モレロが使用していたラディックのドラムスを親にねだる。しかし以前にサックスやフルートを挫折していたので、両親や兄リチャードは続くかどうか半信半疑だったという。しかしカレンはドラムに没頭し、練習を繰り返したという。その甲斐あってカレンのドラムスの腕前は瞬く間に上達し、民族音楽によく見られる変拍子もこなすようになった。一方、本格的にボーカルのトレーニングを受けに行くと、トレーナーから「あなたには、何も教えるものはない」と言われるなど、彼女には歌手としての天性の素質もあった。 こうしてカレンは兄や友人たちと結成したバンド「スペクトラム」から、ドラムスとボーカルを担当することとなった。しかし、カーペンターズとしての活動が活発になるにつれ、歌手として前面に立つことが多くなっていく。やがてリチャードの意向を受けてヴォーカル専門に活動するようになった(カレンがタムの多いドラムスを好んで使っており、観客席から見えにくいというのも一因であった)。カーペンターズはカリフォルニア州を中心として、やがて世界的に活動するようになった。
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