琉球漆器
琉球漆器 |
りゅうきゅうしっき |
漆器 |
盆、茶椀、銘々皿、椀、重箱、棗(なつめ) |
琉球漆器は、14世紀から始まった中国へ貢ぎ物を送る貿易とともに発達したものと考えられています。17世紀初頭には首里王府に貝摺(かいずり)奉行所という漆器の製作所が設置され、技術的にも芸術的にも水準の高い工芸品を作るようになりました。また、民間の産業としては、那覇の若狭町が漆器の生産地でありました。 |
沖縄県 |
昭和61年3月12日 |
琉球漆器は主に朱色の漆や黒い漆を用いた花塗(はなぬり)で作られています。また模様つけの技法には「堆錦(ついきん)」や「沈金」、「箔絵」、「螺鈿(らでん)」等色々なものがあります。木地は、デイゴやエゴノキ、センダン等の木で、下地は豚の血等を使った「豚血下地(とんけつしたじ)」、上塗りは天然の漆を用いた塗り立てで、特に朱の鮮やかな美しさは他に例を見ません。 |
琉球漆器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 14:09 UTC 版)
琉球漆器(りゅうきゅうしっき)は、沖縄県に伝わる伝統工芸品の一つである。 1974年に沖縄県指定伝統工芸品、1986年に経済産業大臣指定伝統的工芸品となった[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d 沖縄県商工労働部ものづくり振興課, p. 12.
- ^ 三山、1908年 & 3頁.
- ^ 三山、1912年 & 27頁.
- ^ 三山、1912年 & 19頁.
- ^ 糸数政次『堆錦加飾の簡素化に関する研究』沖縄県工芸振興センター、2010年。
- ^ 糸数政次『堆錦加飾の簡素化に関する研究2』沖縄県工芸振興センター、2010年。
- ^ a b 三山、1912年 & 28頁.
- ^ 比嘉 & 234頁.
- ^ a b c d 粟国 & VI.
- ^ 沖縄県商工振興課 & p11.
- ^ 沖縄県立博物館だより. 沖縄県立博物館. (1983).参照
- ^ 小野 & 1頁.
- ^ a b c 仲間 & 2頁.
- ^ 小野 & 2頁.
- ^ a b 仲間 & 8頁.
- ^ 仲間 & 3頁.
- ^ 那覇市歴史博物館ホームページ 貝摺奉行所
- ^ 日本大百科全書 (ニッポニカ) より。喜舎場永珣 (きしゃばえいじゅん) (1885 - 1972) は八重山諸島石垣島生まれ、沖縄研究者、八重山研究の開拓者。沖縄県師範学校卒業後、教職のかたわら八重山研究に着手。伊波普猷 (いはふゆう) や柳田国男ほかの影響から郷土研究に専念するため校長職を退く。綿密な調査の成果をまとめた著書に『八重山歴史』(1954) 、『八重山民謡誌』(1968) 、1971年度柳田国男賞受賞作『八重山古謡』(1970) ほか。
- ^ 石垣市教育委員会市史編集課, ed (1995). “参遣状 (喜舎場永珣旧蔵史料)1”. 石垣市史叢書 (石垣市教育委員会) 21 2015年1月20日閲覧。.
- ^ 小野 & 5頁.
- ^ 権 & 76頁.
- ^ 三山、1908年 & 1頁.
- ^ 沖縄県商工労働部ものづくり振興課, p. 11.
- ^ 仲間 & 9頁.
- ^ 権 & 78頁.
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