琉球列島米国軍政府の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 16:14 UTC 版)
「琉球列島米国軍政府」の記事における「琉球列島米国軍政府の成立」の解説
1945年2月に硫黄島を攻略したアメリカ軍は、日本本土への最大の足がかりとしての沖縄の攻略に乗り出した。この攻略が成功し、面積、人口、日本統治の歴史などの点で、この時点までに占領されていたマリアナ諸島などとは比較にならない規模の占領が行われることとなった。 1945年3月26日に慶良間諸島に上陸したアメリカ軍は太平洋艦隊司令長官・太平洋区域司令官兼米国軍占領下の南西諸島及びその近海の軍政府総長チェスター・ニミッツアメリカ海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)を公布した。つづいて沖縄本島に上陸した1945年4月1日にも同名の布告を公布、4月5日には読谷村比謝に軍政府を開設した。 この米国海軍軍政府布告第一号は、日本政府の全ての行使権を停止し、南西諸島及び近海並びにその居住民に関するすべての政治及び管轄権並びに最高行政責任が、占領軍司令官兼軍政府総長、米国海軍元帥であるニミッツの権能に帰属すると宣言するものであった。 同年8月15日の終戦後も沖縄・奄美地域の軍政区域を広げていった。宮古諸島は12月8日、八重山諸島は12月28日、奄美群島・トカラ列島は翌年2月2日に軍政下に入った。 その後、1950年12月15日に琉球列島米国民政府に改組された。 軍政府 (Ryukyu Military Government) 1945年3月26日、ニミッツ布告第1号 - 日本の行政権と司法権の停止を通告 1945年4月5日、ニミッツ布告第2号 - 読谷村比謝に軍政府を設立 1945年4月13日には、軍政府が北中城村島袋 (今のライカムの周辺) に移る。
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