王政廃止と社会主義政権の樹立
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「アフガニスタン」の記事における「王政廃止と社会主義政権の樹立」の解説
1978年、2度目のクーデターにより、アフガニスタンは初めて社会主義国家となった。1980年代には社会主義政権とそれを支援するソビエト連邦軍と、ムジャーヒディーンの反乱軍とのアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が勃発した。 1973年、ザーヒル・シャーがイタリアでの病気療養のため、国を離れていた隙を狙い、旧バーラクザイ王族のムハンマド・ダーウードがクーデターを起こし王政を廃止、共和制を宣言して大統領に就任、アフガニスタン共和国を建国した。ダーウードはアフガン社会の近代化と軍事近代化を目指し、ソ連に接近してイスラム主義者たちを弾圧する。このときパキスタンに脱出したヘクマティヤールはヒズベ・イスラーミー(英語版)(ヘクマティヤール派)を結成し、イスラム主義のラッバーニーらはジャマーアテ・イスラーミー(ペルシア語版、ロシア語版、英語版)(イスラム協会、ラッバーニー派)を結成した。 1978年4月、アフガニスタン人民民主党主導による軍事クーデター「四月革命」が発生し、ダーウードおよび一族が処刑される。人民民主党による社会主義政権が樹立し、国名をアフガニスタン民主共和国に変更、ヌール・ムハンマド・タラキーが初代革命評議会議長兼大統領兼首相に就任し世俗化を推し進めた。これに対し、全土でイスラム主義のムジャーヒディーンが蜂起、アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が始まる。アメリカ合衆国は反共を名目としたサイクロン作戦によりムジャーヒディーンを資金援助して後押しした。政情が不安定化する中、1979年2月に隣国でイラン革命が勃発。同年9月17日には、ヌール・ムハンマド・タラキーが副首相のハフィーズッラー・アミーン一派に殺害され、アミーンが革命評議会議長兼大統領兼首相に就任。政変はタラキー側がアミーン謀殺に動いたが失敗し、逆に巻き返された結果とも報道された。
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