猛毒説の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:22 UTC 版)
緑青を猛毒とする説が何を根拠に提唱されたかということに定説は無いが、いくつかの可能性が指摘されている。 不純物誤解説 不純物(特に砒素)による毒性を緑青自体の毒性と誤解した可能性がある。 銅は精錬技術が低い場合に毒性物質が残留することが多いので、それを銅自体の毒性と誤解する可能性が高いという指摘がある。特に砒素は単体金属に比べて酸化物の毒性が高いため、それを含む金属状態の銅が緑青化することによって毒性が増す可能性が高いと考えられる。 奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)など主に西日本で使われた青銅は、世界的に見ても砒素の含有率が高いため、青銅の緑青による砒素中毒を緑青自体の毒性と誤解する可能性が日本では高かったという指摘もある。 名称混同説 紛らわしい名称をもつ別の猛毒物質と混同された可能性がある。 花緑青(パリグリーン・アセト亜ヒ酸銅(II))と唐緑青(シェーレグリーン・亜ヒ酸銅(II))の可能性が指摘されている。いずれも銅イオンに由来する緑色の顔料であり、砒素に由来する強い毒性を持つ。 1879年(明治12年)に「唐緑青」が食品添加物(着色料)として使われ、中毒事故を起こしたという内務省衛生局の報告があり、1882年(明治15年)や翌1883年(明治16年)の内務省諭告で「緑青中毒」への注意喚起が行われている。ひとつの可能性として、内務省諭告の「緑青」は「唐緑青」の意味であり、この省略された記載(担当者が差異を認識していなかった可能性もある)が誤解のきっかけになったことも考えられる。
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