牛首紬
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牛首紬 |
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うしくびつむぎ |
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織物 |
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和装用品、着物地、帯、小物類 |
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牛首紬の名は、その生産地である白山の麓の牛首村(現在の石川県白峰村)の地名に由来します。平安時代末期の平治の乱で敗れた源氏の落人大畠氏が、牛首村に逃れて来て山城をかまえた時、同行していた大畠氏の妻たちが機(はた)織りに優れていたため、その技を村の女性たちに教えたところから始まったと伝えられています。文献では江戸時代初期の「毛吹草」の記述が最初です。江戸時代後期には全国に広く販売されたと言われており、昭和10年前後に生産のピークを迎えました。 |
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石川県 |
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昭和63年6月9日 |
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2匹の蚕が共同で作る玉繭(たままゆ)から作られる、太くて節のある玉糸を使って織り上げるのが特徴です。玉糸特有の節と独特の光沢は、白生地のままよりも、染め上げることで、野趣に富んだ優雅さと、素朴な民芸調の味わいが表れます。 |
牛首紬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 05:06 UTC 版)


牛首紬(うしくびつむぎ)は、主に石川県白山市白峰地区(旧白峰村)において生産される紬織物。生産は平安後期には始まっていたと伝わる[1]。釘を抜けるほど丈夫なことから釘抜紬(くぎぬきつむぎ)とも称される。
概要
その生産地の石川県白山市白峰(旧白峰村)の中心地が明治初期まで牛首と称されていたことに由来する。
絹糸の原料であるカイコの繭は、通常一頭のカイコが作るものだが、まれに二頭のカイコが入っているものがあり、これを『玉繭(たままゆ)』という。玉繭は二頭の糸が内部で複雑に絡み合っているため製糸は難しく、普通はいったん真綿にしてから糸にするが、白峰の人々は先祖伝来の技でこの繭から直接糸をつむぎよこ糸とし、通常の絹糸をたて糸として織り上げる。これが牛首紬である。
玉繭の糸は何本もの繊維がからみつくため所々に節ができてしまう。この節は織物にしても残り、牛首紬の特徴となっている。
カイコのえさとなるクワの木は、天然では高木になるが、雪深い白峰では雪に押し倒されて根元から曲がって育つため、高く育たず葉を収穫しやすかったため、白峰では古くから養蚕業が盛んであった。上等な繭は生糸や羽二重にするため出荷し、残った玉繭を利用するために織り始められたものが牛首紬の始まりである。
染色は、糸の段階で草木染めする場合と、白無地のまま出荷し染められる場合がある。
関連項目
脚注
- ^ “(2) 資産に含まれる文化財”. 勝山市. 2022年1月25日閲覧。
外部リンク
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