熊本市との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 12:58 UTC 版)
2007年11月15日から2007年11月26日まで往復はがきによる無記名回答方式で合併に係る住民アンケートが実施された。その結果、合併に賛成 (68.6%) が合併に反対 (30.0%) を上回った(回収率56.1%)。そのうち、合併相手先は熊本市 (69.4%) が最多だった。このアンケートの結果を合併推進派の城南町長:八幡紀雄は以前からの熊本市との合併推進の方針の根拠として2008年1月11日に合併協議会を設置した。その後、紆余曲折があったが、同年の10月2日に法定協議会を設置した。合併反対派は合併推進の根拠となるアンケートの有効性に疑問を呈し民意を確かめるために早い時期での住民投票を要求していたが町長の反対などにより実施がなされず、妥協点として法定協議会がすべて終わったあとでの住民投票条例が制定された。また合併の賛否をめぐり賛成反対両派による議員、町長のリコール合戦に突入している。その後議員に対する解職請求は取り下げられたものの、合併反対派が町長への解職請求を続け、町は混乱の中にあった(合併反対派は地元マスコミの取材などに対して、この解職請求が合併問題と直接関係がないことを明言している)。なお、4月末に解職請求が有効かに関する裁判の判決が出され、解職請求が無効であるとの裁決が出された。 2009年6月28日に植木町とともに合併の是非を問う住民投票を実施、両町とも過半数以上の賛成票を獲得したことで、7月10日の臨時町議会で廃置分合案が可決された。さらに9月14日には熊本県議会で廃置分合案が可決したことから10月16日には官報告示され、2010年3月23日の合併が正式に決定した。
※この「熊本市との合併」の解説は、「城南町」の解説の一部です。
「熊本市との合併」を含む「城南町」の記事については、「城南町」の概要を参照ください。
- 熊本市との合併のページへのリンク